2026.02.25
「Howのインフレ」と「ジョブ理論」 〜ブランド徒然話⑦
川内 祥克 株式会社TCD 取締役副社長 クリエイティブディレクター

社内に“自信”を、社外に“共感”を。 ―ブランドをめぐる徒然話
こちらではブランディング、マーケティングの枠を超えて、新たな視点を探っていきます。
今回は、Howの溢れる現在のマーケティング業界において、改めて『ジョブ理論—イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』を見返してみたいと思います。
1.手段(How)が溢れる時代の落とし穴
とりあえず「SNSで…」「動画で…」「AIで…」
今の時代、営業であれ、マーケティングであれ、インナー施策であれ、「手段(How)」は無数に出てきます。しかも、企画書・計画書はすぐに出来上がってしまう。その代償として、伝えるべき「価値(What)」がおざなりになっていないでしょうか?
何のために(for What)?を深く突き詰めなくても、手段(How)が完成してしまう。便利なようで、考えること、選ぶことすらショートカットしてしまっている、非常に危うい兆候だと思います。
原点回帰としてのドラッカーの問い
ピーター・ドラッカーは、事業を推進する根本的な問いとして、以下の二つを挙げました。
・我々の顧客は誰か?(Who is our customer?)
・顧客にとっての価値は何か?(What is value to the customer?)
Who > What > How
この順番が崩れたとき、現場で起きることは明らかです。顧客不在。価値不在。目的があいまいなまま、Howだけが増えていき、「色々やってはいるが効果が上がらない」そんな空回りの状態に陥ります。
2.目的(What)を見つめ直す『ジョブ理論』
「どうすれば、もっとミルクシェイクが売れるか?」
ジョブ理論の冒頭に登場する、有名なエピソードです。
あるファーストフード・チェーンは、数ヶ月をかけてかなり詳細な顧客調査を行っていました。味はどうすべきか?量は?価格は?回答者のフィードバックに応えて様々な改良が試されましたが、売り上げは何も変化しませんでした。つまり「何を(What)」改善すべきかという根本的な問いが間違っていたのです。
著者である調査チームが観察を続けたところ、ある事実に気づきます。
「朝、通勤前に一人でミルクシェイクを買っていく客」が驚くほど多い
そこには性別、年齢といった人口統計学的な共通点はまったくありませんでした。そこでヒアリングを重ねていくと一つの共通項が浮かび上がります。
「長い通勤時間を退屈せずに過ごしながら、昼までお腹を満たしたい」
これが朝の顧客に共通した「片づけるべき用事=ジョブ」だったのです。
3. ジョブ理論が教える「3つの顧客心理」
1.属性だけが「買う理由」ではない
ミルクシェイクの事例が示すように、同じ商品でも「誰が」「どの状況で」「何のために」買うかによって、提供すべき価値はまったく異なります。ペルソナ法では「30代 × 女性 × 年収○○万円…」といった属性で顧客を定義しますが、「顧客にとっての価値は何か?」を突き詰めると、都合の良い均一的な答えはない、ということになります。
2.「競合」という壁の消滅、再定義
Netflixの創業者リード・ヘイスティングスは、かつてこう言いました。
「我々の本当のライバルは睡眠だ」
なぜなら、顧客がNetflixを観るか迷うとき、比較しているのはAmazon Primeではなく、「もう寝ようかな」という選択肢だからです。Netflixが提供しているのは、「映像コンテンツ」という名詞ではありません。「一日の終わりのリラックスタイムを満たす」という動詞なのです。
3.何かを選ぶとき、何かを捨てなければならない
ジョブ理論の重要な洞察の一つが「採用(Hire)& 手放す(Fire)」という概念です。 顧客が新しい商品・サービスを選ぶとき、それは単なる「購入」ではなく、今の状況を解決するための「採用」です。そして、何かを採用するということは、これまで使っていた何かを手放すことを意味します。
・Zoomを導入する
= 対面会議や電話会議という慣れた方法を手放す
・Notionを採用する
= ExcelやWordに蓄積したデータやワークフローを手放す
・電子版の本を買う
= 紙の本の手触りや本棚に並べる喜びを手放す
この手放す「痛み」を理解せずに、新商品の魅力だけを訴求しても顧客は動きません。では、実際に「採用する/手放す」とき、顧客の中で何が起こっているのでしょうか?
4.顧客の心を動かす「アクセル」と「ブレーキ」
採用(Hire)/手放す(Fire)の際に働く心理的メカニズム
これまでのマーケティングは、新しい商品やサービスを欲する「ポジティブな力」を引き出すことに注力してきました。しかしジョブ理論では、顧客の足を引っ張る「ネガティブな力」をいかに断ち切るかに注目します。
新しく何かを採用する時に働く「4つの力」を見てみましょう。
◼️前に進もうとする力
1. 顧客の背中を押す力(Push)
今のままじゃダメだ、つらい、という切実な悩みや不満。「今の掃除機、重すぎて腰が痛い」「このソフトは遅すぎて仕事にならない」など
2. 顧客の手を引く力(Pull)
これを導入すれば良くなりそうだ、という解決策の魅力。「ルンバなら寝ている間に掃除が終わっている!」「このソフトなら1クリックで終わる!」など
◼️引き戻そうとする力
3. 変化に対する不安の力(Anxiety)
失敗したくない、という新しいものへの心理的ブレーキ。「使いこなせるかな?」「高いお金を出してすぐ壊れたらどうしよう?」「怪しい会社じゃないか?」など
4. 慣習・慣性の力(Habit)
今のままでも大きな問題にはならない、という過去への執着。「今の掃除機もまだ動くし…」「新しい操作を覚えるのが面倒くさい」「今のソフトのデータが溜まっているし…」など
基本的に人は変化を嫌うものです。特に習慣を変えることに対しては、非常に慎重になります。こうしたネガティブな障壁をいかに減らすかという視点が抜けていると、本来のポジティブな力が発揮されません。
Howの前に解決すべき3つの問い
マーケティングにおいてHowにアクセスしやすくなった時代だからこそ、目的を見失わずにコミュニケーション全体を設計することが重要になります。
魅力(Push/Pull)を高めるだけでなく、不安(Anxiety)を取り除き、習慣(Habit)を変える手助けをしながら、顧客の態度変容を統合的にデザインする。
手段(How)はこれからも増え続けます。だからこそ差がつくのは「問いの質」と言えます。
Who:
どんな人の、「どんな状況」の課題を解決するのか?
What:
その人が今使っているものは何か?「どんな変化」を提供するのか?
How:
魅力を高めながら、不安と面倒さを「どう取り除く」のか?
顧客が買っているのは「商品(名詞)」ではなく自分の生活を前に進める「進歩(動詞)」という視点で、ブランドが提供すべき価値を見返してみましょう。
参考)
ジョブ理論
イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム
クレイトン・M・クリステンセン (著)
[筆者プロフィール]
川内 祥克
株式会社TCD 取締役副社長 クリエイティブディレクター
企業ブランド、事業ブランドやサービス・ブランドの立ち上げ、プロモーション業務に従事。『ブランドのウェブ活用』などのセミナーも開催。