2025.06.25
『STPでブランドは成長しない』は本当か?台頭するエビデンス・ベースド・マーケティング(=EBM)
生山 久展 株式会社TCD ブランディングオーソリティー

今、マーケティングの世界で、大きな注目を集めているのがエビデンス・ベースド・マーケティング=EBMを標榜するグループです。その筆頭格は「マーケティングの科学」の著者である南オーストラリア大学のバイロン・シャープ教授。そしてこの考えを分かりやすく解説して日本に広めているのが芹沢連氏。著書「戦略ごっこ」はビジネス書としては重版を重ねる異例のヒットとなっており、店頭で見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。
マーケティングの「当たり前」を次々と覆すEBM
EBMの考え方は、ファクトやデータといったエビデンスに基づいた意思決定を促進し、より成功確率の高い戦略を導くというものです。低迷するUSJを見事にV字回復させた森岡毅氏(現株式会社刀代表取締役)の用いているメソッドもEBMの考え方に基づくものです。彼らの言うエビデンスとは、異なる状況下で繰り返し観測される市場や消費者行動の規則性のことです。これまでの知識・経験・カンを徹底的に排除し、「科学的に根拠のあるマーケティングをしましょう」というスタンス。
彼らの主張が大きなインパクトをもたらしたのは、これまで当たり前と信じられてきた数々の伝統的なマーケティングセオリーを、実証実験によって「科学的に正しくない」ことを証明して見せてことにあります。興味がある方は前述した本で確認いただければと思いますが、当コラムでは40年間マーケティングに従事してきた筆者にとって、最もショッキングだったエビデンスを紹介したいと思います。
STPに基づくマーケティング施策の行動説明力は極めて低い
私にとって衝撃的だったのが『STPではブランドは成長しない』という主張です。STPとはマーケティングの大家であるフィリップ・コトラーが提唱したマーケティングの基本フレームです。市場はどういう顧客グループにセグメント(S)されていて、このうちどのターゲット(T)を狙って、どういうポジショニング(P)で勝負するかを表明したものです。
マーケティング業務に従事されてきた方は、若い頃から「STPがマーケティング戦略の基本」ということを叩き込まれてきたはずで、STPの精度を上げることがマーケティングの成功確率を高める唯一の手段だと信じてきた方も多いのではないでしょうか。私も5年前に当コラムで「マーケティングで重要なのは4PよりもSTP」という記事を書いています。実は「戦略ごっこ」の芹沢連氏もかつてはSTPを何十回何百回と立案してきたと述べられています。
STPのキモは、顧客をどのような切り口でセグメントするかにあり、大きく言うと以下の3つの切り口があります。
①地理的セグメント・・・地域、都市規模、人口密度、気候、、、、、
②人口統計的セグメント・・・性年代、世帯構成、世帯年収、、、、、、
③心理的セグメント・・・価値観、ライフスタイル、パーソナリティ、、、、、、
この中で最もよく使われているのが性年代に代表される「②人口統計的セグメント」で、次いで「③心理的セグメント」。よく価値観やライフスタイルで顧客を分類し、ペルソナを作ったりしていますね。しかしこの両方ともに消費者の行動を説明できないという実証が行われています。Novak and MacEvoy(1990)は、人口統計的セグメントや心理的セグメントによる様々な行動(カテゴリー購入、メディア視聴、活動の参加など64項目)の説明力を以下のように報告しています。
性年代は4.0%。価値観は僅か1.1%、ライフスタイルでも2.6%しかありません。かつてよく多大な時間とコストをかけて価値観から因子分析、クラスター分析を行ってSTPを作っていましたよね。でもそれはマーケッターの自己満足に過ぎず、消費者の行動を説明する力は全くなかったということになります。
ここまで説明力が低いことも驚きですが、この報告が35年前に行われていたにも関わらず、多くのマーケッターはこれを採用せずに(認知していなかっただけかも知れませんが)、コトラーの伝統的なセオリーを信じ、ペルソナを作り続けていたというのは何とも残念としか言いようがありません。
行動的セグメントによるSTPは依然有効?
私自身も過去に数多くのペルソナを作り、心理的セグメントによるSTPを行ってきましたが、その有効性については懐疑的な立場でした。いくら理想の顧客像やカスタマージャーニーを妄想しても、その顧客はいったいどこにいるのか、その後のアクションに結びつかないことが多かったからです。
『STPでブランドは成長しない』のであれば、これに代わるものが必要になります。私は基本的なマーケティング戦略の組み立ては「行動的セグメント」によるSTPを行っています。カテゴリー消費特性や、ブランドへの認知・態度・行動などのファクトに基づいて顧客の分類を行おうとするものです。これ以外のセグメントは一切行わなくなりました。
以前にこのコラムでも紹介した人気マーケッター・西口一希氏の提唱する「顧客ピラミッド」は行動的セグメントによる分類が起点になっています。西口氏も様々な顧客分類をトライしてきて、最もシンプルで汎用性が高い「顧客ピラミッド」に辿り着いたと言われています。
「顧客ピラミッド」からは5つの戦略が導かれ、ブランド成長のための必要アクションが見えやすくなることが最大の利点だと思います。
前述したような「行動的セグメント」でのマーケティング施策についての行動説明力を実証したデータを見つけられていませんが、マーケッターの実感として「人口統計的セグメント」や「心理的セグメント」よりは間違いなく説明力は高いと感じています。「いやいやこういう曖昧な感覚に頼ったままではダメでしょ」というEBM支持派からの批判が聞こえてきそうですが、もしマーケティングに行き詰っている方がいれば、「行動的セグメント」でのSTPを一度試してみる価値はあると思います。
エビデンス・ベースド・マーケティングは、ビッグデータ技術の更なる進化とともに、今後間違いなくメジャーな存在になっていきます。すべてのマーケッターにとってEBMは「必須科目」になっていくと思いますが、前例のない課題などエビデンス一本足打法では解決できないこともあるはずです。伝統的マーケティングの中にも依然有効なものも存在しますし、この両者を状況に応じて適切に使い分けることができるマーケッターを時代は求めていると思います。
[筆者プロフィール]
生山 久展
株式会社TCD ブランディングオーソリティー
戦略開発、調査・分析、商品開発、販促展開まで幅広いブランディング業務に従事。30年余の実務経験をベースに、的確な現状分析から本質的な課題解決のプランニングを得意とする。