2020.03.31
市場調査不要論 ―今求められるマーケティング・リサーチとは?
生山 久展 株式会社TCD ブランディングオーソリティー
「マーケティング・リサーチなんかいらない」
私は長くマーケティングの世界に身を置いてきましたが、30年以上前からこうした議論はありました。80年代にシャープの社長だった辻晴雄氏はいつも「調査不要」を公言していましたし、画期的な新商品を次々と送り出していたソニーも同じような考えだったと聞きます。
現在、多くの商品が成熟期を迎え、品質機能面での差別化は一巡しコモディティ化しています。既存商品の改良改善では大きなヒットは望みにくく、戦いの土俵をずらした新しい商品・サービスの開発が競争戦略の焦点になっています。ただし消費者は自分の欲しいものが何かを自覚しているわけではありません。実際に商品としての完成形を目の前に提示されたときに、初めて「欲しいという隠れた欲求」が喚起されてきます。だから消費者に意見を聞いても仕方がないというわけです。このため、マーケティングはとにかく他社に先駆けて市場に出して、実際の反応を確認する。テストマーケティングのように小さく試して、検証して、大きく育てる。調査に調査を重ねてから発売するよりも、こちらのほうが成功確率が高くなるという主張です。
また、近年の企業はIT化の進展とともに、膨大なデータを入手できるようになりました。ビッグデータの分析などから、どんなニーズを持つ消費者がどれくらいのボリュームでどこに存在しているかを詳細に把握できている企業もあり、いちいち消費者の気持ちを確かめるリサーチはもう必要ないという意見もよく聞かれるようになってきました。
新商品の受容性調査の精度が上がらない
しかし、実際の商品開発のプロセスに、依然リサーチはしっかりと位置付けられています。新商品やリニューアル商品のコンセプトや試作品を提示して購入意向を聞く受容性調査は、今も多くの企業で行われています。
この受容性調査では、「とても購入したい」のTB値(=トップボックス値)、「とても+まあ購入したい」のTP値(トータルポジティブ値)が、目標値を超えないと商品化のプロセスに進まないというような商品開発ルールを設定していることもよくあります。ちなみに一般的にTB値は30%以上、TP値は70%以上が合格ラインの目安となっていることが多いですが、この調査の結果で「売れる」と判断した商品が、発売後に期待通りに売れないこともよくあります。
私自身、過去にある食品メーカーの既存商品のデザインリニューアルで、TB値60%、TP値95%というとてつもなく高い支持の調査結果が出たことがありました。この時は関与者全員がヒットを確信し、自信をもって市場に投入しましたが、実際には以前よりも売れ行きが鈍化するという皮肉な結果になった苦い経験があります。
やはり「調査」と「実戦」は違います。購入意思決定には「よい⇔わるい」の認知的判断、「好き⇔嫌い」の感情的判断、「いる⇔いらない」の選択的判断の3つの次元がありますが、調査では3つ目の選択的判断がシビアにならないので、どうしても甘めの評価になる傾向があります。実際の棚や売場に近い状態を再現してリアル感を高めても限界があります。
また逆に、TB値、TP値が目標に届かないために、見直しやお蔵入りになった商品の中で、調査しないでそのまま発売していればヒットしていた商品もあるかも知れません。
大事なのは「誰」に聞くか
では、どうすれば受容性調査の精度を高めることができるでしょうか。私は誰に聞くのか、対象者の設定が最も重要だと思っています。商品の認知率や所有率、購入状況というような基礎的実態調査の場合は、広く世間一般に聞く必要があります。しかし、受容性調査は、広く世間一般に聞く必要はありません。広く世間一般の1000サンプルの定量調査より、戦略的に設定された10サンプルの定性調査のほうが、売れるという確信が得られたり、よりヒット確率を高めるためのインサイト情報を得ることができる実感があります。
ロジャースの普及理論をご存知でしょうか。ある商材が普及していくモデルで、発売されてすぐに購入するのは「イノベーター層」と「アーリーアダプター層」で構成比は全体の15%を占めると言われています。15%、すなわち6〜7人に1人が購入してくると「よく見かける」「話題になっている」「売れている」という心理が働き、追随して「アーリーマジョリティ層」や「レイトマジョリティ層」が購入してくれるようになります。つまり商品の市場浸透を図るためには、自分がいいと思ったら周りの評判など気にしないで、自らのリスクで購入してくれる「イノベーター層」と「アーリーアダプター層」に支持される必要があります。ですから新商品の受容性調査は、最初に動いてくれる高関与層にだけ確認すればいいわけです。
ロジャースの普及理論
これだけ価値観や嗜好性が多様化している今、マーケティングは自社商品を熱狂的に支持してくれるセグメントを見つけ、ここで圧倒的に浸透を図ることにシフトしてきています。幅広い顧客に応えるような最大公約数的な商品は敬遠され、ターゲットのニーズやモードに徹底して応えていくような商品に支持が集まります。熱狂的なファンは、リアルやネットを通じてこの商品の良さを発信、拡散してくれるという好循環も生まれていきます。このような「ファンベースマーケティング」や「ブランド体験」を基本戦略とするのであれば、リサーチのやり方も従来の広く世間一般に聞くスタイルとは決別していかなければなりません。
[筆者プロフィール]
生山 久展
株式会社TCD ブランディングオーソリティー
戦略開発、調査・分析、商品開発、販促展開まで幅広いブランディング業務に従事。30年余の実務経験をベースに、的確な現状分析から本質的な課題解決のプランニングを得意とする。