2026.04.21
パーパスで、なぜ会社は変わらないのか
田中 恵子 株式会社TCD クリエイティブディレクター
前回インナーブランディングのコラムを書いてから早1年、新入社員が入ってくる季節となり、改めて企業のらしさの伝達に苦慮されている方もおられるのではないかと思います。
先日行ったTCDのオンラインセミナーでインナーブランディングをテーマにした際に、参加者の皆さんにこんな質問を投げかけました。
「自社のパーパスやMVVを、自分の言葉で説明できる社員は何割いますか?」
オンラインなので、あいにく皆さんのお顔は見えませんでしたが、その後のアンケートから皆さん課題を感じていらっしゃる様子が伺えました。
経営企画や人事の立場でインナーブランディングに取り組んでいると、こうした「手応えのなさ」を一人で抱えていらっしゃることがあると思います。
でもこうした悩みは、実は多くの企業で共通しています。やり方が間違っているのではありません。問題は、取り組みの量ではなく、浸透の測り方にあることが多いからです。
今回は、このセミナーの際にお話ししたことを振り返る形で記事にまとめたいと思います。
「知っている」と「動ける」は別の話
昨年、TCDが独自に行った調査では、自社の理念を「はっきり覚えている」と答えた社員は14%にとどまりました。
この数字だけを見ると、まずは認知を上げなければ、という話になりそうですね。もちろん、覚えてもらうことは最初の一歩として大切です。今回セミナーでお伝えしたかったのは、その先にある話でした。
仮に認知率が上がったとしても、それだけで現場が変わるわけではありません。
ポスターを見た。研修を受けた。言葉は知っている。
でも、日々の仕事の中で、その理念を拠り所に「判断」できているでしょうか。
そもそも、「判断」に活かすもの、と思われていない方もいらっしゃると思います。
理念浸透において大切なのは、「知っているか」や「共感できるか」だけではなく、判断や行動に使えるかです。
では、なぜパーパスやMVVは行動につながりにくいのでしょうか。
私は大きく3つの層があると考えています。
① 思想レベル:抽象度が高すぎる
「顧客志向」や「社会貢献」。これらは正しい言葉ですし、掲げやすい目標です。一方で、現場の判断基準として見ると、少し大きすぎることがあります。
たとえばクレーム対応ひとつ取っても、
「時間をかけてでも丁寧に対応する」ことも顧客志向ですし、
「ルールに則って迅速に解決する」こともまた顧客志向です。
どちらも間違っていません。
だからこそ、組織として“うちの場合はどちらを優先するのか”が共有されていないと、人によって判断が分かれます。
そのズレが、現場では「対応のムラ」として現れます。
抽象度の高い言葉は、掲げるには便利です。これを行動に変えるためには、現場に合わせた翻訳が必要です。
② 設計レベル:判断基準(優先順位)が見えにくい
理念を行動に落とし込むには、何を優先するか、選ばないかという覚悟が必要です。何かを選ぶということは、何かを後回しにすることでもあるからです。
「品質のためなら、納期をずらすこともいとわない」「スピードのためなら、一定の丁寧さは犠牲にする場面もある」
こうした優先順位が示されていないと、理念は“いいことを言っている言葉”のままで止まってしまいます。
基準は、トラブル時こそ本領を発揮するものです。
③ 運用レベル:現場向けに翻訳されていない
営業、開発、バックオフィス、同じ会社の中でも、仕事の中身はまったく違います。
にもかかわらず、理念の伝え方が全員一律だと、どうしても「大事なのは分かるけれど、自分の仕事ではどういう意味なのかが分からない」となりやすい。
必要なのは、「このバリューは、あなたの仕事ではこういう判断に活かします」という具体的な翻訳です。
ここがないと、理念は“全社の話”ではあっても、“自分の仕事の話”になかなかなりません。
「理解」はゴールではなくスタート地点
では、どう設計すればいいのか。セミナーでは3つのフェーズで考えることをお伝えしました。

ここで多くの企業がつまずくのは、「理解」をゴールにしてしまうことです。
研修を実施した、社内報で特集した、ポスターを貼った——。それ自体は大切ですが、「知っている」状態は出発点に過ぎません。「行動できる」状態になって、ようやくインナーブランディングは機能し始めます。
そして、インナーブランディングのそれぞれのフェーズごとに、違う壁があります。
「理解」フェーズには、KPIの検討を
ここでは、問いの立て方を変えることが有効です。
「この理念を知っていますか?」ではなく、
「この理念を、お客様や新入社員に自分の言葉で説明できますか?」
この違いは大きいと思っています。
前者は“見たことがあるか”を測り、後者は“腹落ちしているか”を測るからです。
また、経営層・社員・顧客それぞれにヒアリングを行い、その認識のギャップを並べて見ると、どこに翻訳の必要があるかも発見しやすくなります。
「行動」フェーズには、日常の判断への転換を
ここでは、特別な美談を探す必要はありません。
「どんな行動をしましたか?」ではなく、
「そのとき、何を基準にそう判断しましたか?」
という問いに変え、その判断の事実を組織で共有していくことです。
インナーブランディングは、派手なアクションを増やすことではなく、日々の判断の質をそろえていくことに近い。私たちはそう考えています。
「定着」フェーズには、仕組みや設計を
そして最後が、「定着」の壁です。
定着の機会を設けていても人ゴト化を脱しない。表彰してもセレモニーで終わり、行動が広がっていかない。そんなケースも少なくありません。
どうしても理念に沿った行動は“良い話”で消化されてしまったり、結局それで成果はあったの?と斜めに見られてしまったり。
これを現場の判断や成果と結びつけて共有していく。そうした効果の見える化も重要です。
たとえば「MVVが判断基準として機能しているか」を定点で見ながら、顧客満足度やクレーム発生率などの指標とあわせて確認する。そうすることで、理念に根ざした行動が何を生むのかが見え、定着が進みやすくなります。
今日から使える5つの問い
セミナーの最後に、参加者の皆さんにお渡しした問いがあります。
これから施策を検討される方、またすでに実施されている方も自社に置き換えて考えてみてください。
Q2. 判断に迷ったとき、戻れる指針がありますか?
Q3. 浸透度を測る定点指標がありますか?
Q4. 現場(職種別)への翻訳はできていますか?
Q5. 取り組みが日常業務と紐付いていますか?
YESが3つ以下なら、活動量を増やす前に、設計そのものを見直してみても良いかもしれません。
ゴールは、誰かの資質に依存しない組織
最後に、私自身がインナーブランディングに携わる中で、大切だと考えていることをお伝えしておきます。
インナーブランディングで目指したいのは、特定の誰かの判断に依存して回る組織ではなく、共通の判断基準のもとで現場が自律的に動ける組織です。
新人でも、ベテランでも、
部署が違っても、役職が違っても、
迷ったときに同じ方向へ一歩を踏み出せる。
そんな状態がつくれたとき、パーパスやMVVが組織の力になります。
地図を配るだけで動ける人は多くありません。現在地や向かう方向だけでなく、迷ったときに立ち戻れる判断基準まで共有されていて、はじめて人は動きやすくなります。
理念を浸透させる、から、理念を使える状態にしていく。
その視点が、これからますます重要になるのではないかと感じています。
*本記事は、2026年TCD開催のセミナー「なぜパーパスが社内に浸透しないのか?」の内容をもとに再構成しました。
[筆者プロフィール]
田中 恵子
株式会社TCD クリエイティブディレクター
企業ブランド、事業ブランドの立ち上げや再構築に従事。コンセプト開発からデザイン、コミュニケーション設計までを一貫して担当。戦略とクリエイティブの両面から、ブランドを企業文化へと育てることをテーマとしている。